都市と地方の(教育)格差について語られるときに僕が思うこと

 はじめに

 いきなりだが少し身の上話をさせてもらうと、僕は大学進学のために上京して二年になる。そう大きな大学と言えた規模ではないが、やはり高校と比べれば色々な人がいるし、必然的に様々な話を聞いたりしたりする機会が増えるものだ。都市部の大学だから(あるいは大学であればそういうものなのかもしれないが)東京以外の地方出身の人なんかともそれなりの回数交流してきたと思う。そんな風に僕みたいな学生が様々に地方の人々と交流して色んな話をしてるわけだが、度々地方出身コミュニティのなかで話題になるのが「教育格差」だ。

 

 どんなものか

 よくある話だ。ツイッターとか何かしらのSNSをやってる人であればお分かりかもしれないし、あるいはネット記事やニュース番組でも取り上げられてると思う。「資本の集中する都市部の教育と過疎化の進んだ田舎のともすればお粗末な教育環境」ってやつである。

 これが割と話題になる。どんなふうにっていうとこんな感じだ。彼らは「地方の学生は都市部の学生に比べ情報と物資が不足している。」とか「触れることのできる教育の水準が違う。」とかそんなところをよく口にしている。もちろんこれらは個人的にも感じたことがあるし、今後そうした「よりよい」環境を望む声が高まるのなら是正も必要なのだろう。教育や自己実現の自由も大いに認められるべきところだと信じている。だが主題はここではない。

 

 本当に格差に興味があるのか?

 彼らは同じ話題のくくりとして自分の出身地の人々の選択についても言及を行うことがしばしばである。たとえば「同級生が地元に残ることで目先のメリットを重視してそこで就職/進学してしまったがそれは違うんじゃないか。」、「東京の大学に来る実力があったのに周囲に流されてる人がいてもったいない。」みたいな話を聞いたりするのだ。ガチで。

 率直に言ってしまうと、僕はこの手の考え、発言が大嫌いだ。醜悪で最悪だ。そして残念ながらこれが主題である。読者の皆様ごめんなさい。

 都市部と地方で教育の格差にこんなものがあって苦労したね~って話を聞かされてうんうんそうかそうかとおもっていた矢先、自分が憧れを抱いていた、そして今も正解だと信じて疑わない都市部進出を以てして出身地の人々を侮辱し始めるのである。もし話をここまで持ってくることで自分たちが溜飲を下げたいのだというならば、これはとんでもない話である。いったい何様のつもりなのだろうか。

 ......ボロクソに書いてしまったが、問題は結局のところ、そうした人々は地方をダシにして自分を優位に立たせようとしていることだ。格差是正に興味がありますと言っているようで実は格差の上でタップダンスを決め込んでいる。

 すでに書いたが、もちろん僕としても地方の人々が将来の選択肢の拡充を望み現状を打破したいというならばそれは叶えられて然るべきだと考えている。1~3の選択肢を6まで、時に10まで伸ばすことがメリットを生みうることは重々承知である。しかしそれらの必要性を叫んでおきながら勝手に広げた選択肢に1位から勝手にランク付けを行い、ランキング上位から下位にむかって侮蔑の目を向けるとは何たる有様だろうか。こんな腐れたエリート主義の腐れた成れの果てを大学で見せられるなんて思いもよらないことである。

 

 さいごに

 テキトーに書いたにも関わらず疲れてきたのでここで筆を置こうと思う。とにかく、格差があることが事実だとしてもそこに優劣の概念を持って来て人を見下し始めるなどもってのほかである。こうした姿勢こそが格差の維持に寄与するし、また場合によっては思いもよらぬものに分断を生み出すこともあり得るだろう。

 それにちょっと主題とズレるかもしれないが、地方に残るという選択肢は今の時代になかなかに尊い選択だと思う。その地域の人や物、共同体と自らの紐帯を大切にしているということは、時に面倒に感じることはあるかもしれないが、自分の確固たる居場所を持っているということであって、それは何物にも代えがたい財産だ。自分が都市に出たのはそういうものが周りに比べて少なかったからで、あとは過度にプライベートを晒したくないという謎の(本当に自分でもよくわからない)性格によるものだ(そういう者にとっては都市は場合によってはあってるかも)。

 「地方教育格差」、まことに眉唾物だと思う(ガチ終わりたくて強引に締めました。ブログって気楽ですごくいい!)